7年ぶりにリリースされるという黒沢健一さんのソロアルバムのデモを聴いて最初に浮かんだのは、一面に広がる純白の雪景色だった。「冬のうた」とタイトルがつけられた一曲目(のちに「Grow」と改題)の印象がとりわけ鮮烈だったからかもしれない。“君はここから出ていくが、僕はここに残る”という歌詞のシチュエーションが、村上春樹「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」の〈世界の終り〉の光景を思い起こさせた。永遠に続く冬。ビーチボーイズに『Endless Summer』というベスト盤があるが、さしずめこのアルバムを覆う静謐な世界は『Endless Winter』と呼ぶにふさわしい。配信版シングルのリリースも冬だったし、いっそ発売日も繰り上げて真冬にリリースしてみてはどうか……次々とあふれてくるぼくのばかげた妄想を黒沢さんはにこやかに全部聞いてくれたうえで、しかしきっぱりと、「これは春の訪れを感じさせるアルバムにしたいんです」と言い切った。たしかに、7年間の長い冬を過ごしてきた黒沢さんにしてみれば、このアルバムのリリースは待ちに待った“春の訪れ”にほかならなかった。
さて、その黒沢さんの世界観をアートワーク上でどのように表現するか。イラストよりは写真だろう、となんとなく考えた。「冬」というキーワードを抜きにしても、デモの音源から最初に受け取った「白」の印象は自分の中で外し難いものがあった。雪の表面やガラスの透明感など、何が写っているのか一見わからないような抽象的なイメージが頭に浮かんでいた。もちろんそれらは単なる頭の中のイメージに過ぎず、その時点で誰か具体的なフォトグラファーの心当たりがあったわけではなかった。そんな折、街で偶然手に入れた展覧会の案内はがきに、ぼくの脳内の風景を100%形にしたような写真が載っていた。ベッドの上のシーツの光と影を淡いコントラストでとらえたその写真は、嶋本麻利沙さんというフォトグラファーによるものだった。開催中の写真展に行ってみると、それ以外の展示写真も、販売されていた写真集『as is』も、今回のアルバムの世界にとても合っている気がした。黒沢さんやスタッフも嶋本さんの写真をとても気に入ってくれて、正式に撮影をお願いすることになった。今回のようにアートワークのヴィジョンが先に頭の中に生まれて、それに引き寄せられる形で偶然にフォトグラファーが見つかる、というのはぼくのキャリアの中でも初めての経験だった。
撮影は黒沢さんの自宅と都内の公園で行われた。ぼくはいつもフォトグラファーが決まった時点で、基本の確認以外のディレクションはせず、その人に撮影を任せてしまうことにしている。だからこの日も撮影現場では細かい口出しをしなかった。おまけに今回はロケハン(撮影場所の事前の下見)も特にしていなかった。嶋本さんのフィルターを通したいつもより少しリラックスした黒沢さんが次々とフィルムに収められていく中、何か決定的な奇跡が起きるのをじっくりと待っているような状況だった。そして、そんなときに限って、きまって奇跡は起こるのだった。
公園の小さな林でいくつかの撮影を終え、まだこれだという場所には出会ってない感じで次の撮影場所を探す途中に、その「白い壁」はあった。向かいの小川沿いにある枯木が、白い表面にうっすらと影を落としていた。きっと昼下がりのこの一瞬の時間にしか見られない光景に違いなかった。さっそく黒沢さんがその壁の前に立ち、時間にして約30分弱の短い撮影が行われた。このときのフォトセッションから生まれたのが、『Focus』のアルバムジャケットやバックカバーにも使われた一連の写真である。あとからわかったことだが、この白い壁は何かの工事のために立てられた柵のようなものだったらしい。一週間後にプロモーションヴィデオの撮影クルーが同じ場所を訪れたとき、白い壁は跡形もなく消えていたそうだ。まさにほんの一瞬だけ世界と「Focus」が合ったような、奇跡的な時間だったといまでも思う。
初出/黒沢健一『Focus -LIMITED EDITION-』ブックレット
⎯⎯黒沢健一『Focus』|P-Graph
⎯⎯展覧会日和[2008・11〜12月]|パラグラフ
⎯⎯because there is light|feature|黒沢健一
参考/『Focus』アートワークのためのイメージソース
『Daily Life 辻和美作品集』 写真/小泉佳春
『as is』嶋本麻利沙