
この物語の中で描かれる関係のひとつと似た感情が、かつて自分の身にも生じたことがあるかもしれないと、映画を観終えて思った。もちろんこれと全く同じシチュエーションというわけではないし、あったとしてもほんの僅かな時間だったかもしれない。それは誰にとっても起こり得る感情なのか、他人と共有可能なのかもわからない。そういう感情を体験した人も、しなかった人もいるだろう。ただ、ぼくはこの映画の一連の場面を見て、心の奥底から懐かしさが込み上げてくるのを感じた。その感情には名前がなく、名付けようもないが、記憶の中に確かに存在していた。
いま、とくに現代社会では、人それぞれの置かれた立場や傾向、性癖、行為に対して、特別な名前が付けられていることが多い。例えば、この作品の主要人物である、安藤サクラ扮する湊の母親・早織の「シングルマザー」。立場の強い者が弱い者に対して働く「パワハラ」、あとは「マイノリティ」なんかもそうかもしれない。対象となる人物の本質……本来はそれぞれが個人の目や心を通して判断すべき事柄が、そういった名前や名付けの中にあらかじめ負わされている気もする。それは時に、人と人の間に漂うゆるやかな理解への道すじを冷たく遮断してしまう。
この映画の中で脚本の坂元裕二は、そういった名付けが発生する前の、人々の実像を描こうとしているようにぼくには感じられた。それはおそらく、今回のようなやり方でしか描けなかっただろう。
主に既発の曲からなる坂本龍一の劇伴もとても良かった。物語への理解の流れを特定の方向に導かず、包み込むようにただ音楽としてそこにいてくれた。『12』を聴く時の、あの喜びにも悲しみにも支配されない感覚が、映画を観ている時間の中にも満ちていた。
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