
12月3日(日)のしなもん[下山ワタル]一日展「ひととき」(仙川・POSTO)で、裏テーマとして、今年6月に逝去した音楽プロデューサー/ジャーナリストの佐藤剛さんを追悼する展示企画を行いました。
『「黄昏のビギン」の物語』(小学館新書)出版記念イベント(2014)のために作成したアートワークのリメイク「beguine」と、10月の個展で発表した描き下ろしの新作「わからん ’23」(剛さん含む、今年逝去した5人の憧れの人々に捧げる作品でもあった)の展示。
……そしてBGMとして、剛さんと”アイドル” をテーマにしたプレイリストを作成しました。
Go1: 佐藤剛と“アイドル”|Spotify
拙稿(追悼:佐藤剛さん)でも述べた通り、ぼくはかつて剛さんが社長を務めた音楽事務所ファイブ・ディー(THE BOOMや中村一義、SUPER BUTTER DOGほかが当時所属)で、ファンクラブ会報の編集や、所属アーティストのCD・コンサートグッズ・広告その他のデザインを担当していた。フリーランスとして独立後も、著書『ウェルカム!ビートルズ』、HIBARI 7 DAYS、-shin-音祭[2018]など、剛さんプロデュースのイベントにデザインで関わりました(→Work|佐藤剛|P-Graph)。
11月に都内のライブハウスで開かれた「佐藤剛 偲ぶ会」では、ぼくも含めかつてTHE BOOM等の会報に関わったスタッフが再集結して制作した追悼冊子『佐藤剛|1952-2023』が、参加者に配布された。そこには剛さんが少年時代から耳にしてきた音楽から始まり、後年のプロデュース作品・著作の数々が、BIOGRAPHY(年譜)として刻まれている。



素人同然で入社した当時は影も薄かった自分が、剛さんと交流できるようになったのは、映画やアイドルの話題がきっかけ(→追悼・佐藤剛さん|P-Graph)。方向性や時代性も異なるし、情報量など全てが比べ物にならないレベルだったけど、剛さんが作家や周辺文化を通してアイドルを受容してきたのと同じような道を自分も辿っていた。剛さんの知識から、ぼくもたくさんの影響を受けました。
追悼冊子『佐藤剛|1952-2023』の内容と生前に交わした言葉をヒントに、剛さんが好きだった “アイドル” を「記憶半分・想像半分」で並べたのが、今回選曲した全62曲のプレイリストです。
以下のテキストは蛇足なので、できればプレイリストを聴きながらざっくりご覧ください。
*引用は『佐藤剛|1952⎯2023』収録の年譜(以下、年譜)より。年譜中の引用からの孫引きにあたる箇所は、オリジナルの引用元を記した。
01〜07:映画、海外のアイドル
01:アイドルを探せ/シルヴィ・ヴァルタン
02:バーバレラ/オリジナル・サウンドトラック
03:女性上位時代(Slow Take)/アルマンド・トロヴァヨーリ
04:サンライト・ツイスト/ジャンニ・モランディ
05:Laisse-Moi/シャンタル・ゴヤ
06:Dans La Nuit/シャンタル・ゴヤ
07:悪魔を憐れむ歌/ザ・ローリング・ストーンズ
シルヴィ・ヴァルタンは、剛さんが編集で関わった徳間ジャパンコミュニケーションズの広報誌『微風』女性アイドル特集の冒頭に登場した、元祖アイドル。「バーバレラ」は(ぼくが幼少時に衝撃を受け、剛さんのフェイバリットムービーでもあった)ジェーン・フォンダ主演の“B級”SF映画。
03〜04は、イタリアの女優カトリーヌ・スパークの主演作(「女性上位時代」はピチカート・ファイヴがアルバムタイトルに引用)。シャンタル・ゴヤは、ゴダール作品に出演した女優兼シンガー(社内で彼女のレコードをデスクに飾っていたのを見て、剛さんから声をかけられた。→ 追悼:佐藤剛さん|P-Graph)。07:「悪魔を憐れむ歌」ザ・ローリング・ストーンズは、ゴダールの映画『ONE PLUS ONE』でその制作過程が取り上げられており、ここでは映画のアイドルとして選んだ。
なお、Spotifyにはなかったが、剛さんが好きな映画/アイドルとして「月曜日のユカ」の加賀まりこを挙げておく。剛さんから譲っていただいた、かつて加賀まりこにインタビューした時にもらったというテレホンカードは、忘れられない家宝になった。
08〜13:思春期に出会ったロック
08:テル・ミー/ザ・ローリング・ストーンズ
09:Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band/ザ・ビートルズ
10:With A Little Help From My Friends/ザ・ビートルズ
11:She’s A Rainbow/ザ・ローリング・ストーンズ
12:Just Like A Woman/ボブ・ディラン
13:You Keep Me Hangin’ On/バニラ・ファッジ
08:「テル・ミー」ザ・ローリング・ストーンズは、剛さんが小学校6年生で出会って衝撃を受けた初めての洋楽。
《『テル・ミー』という曲のタンバリンが、スネアとずれている。タメがあるというよりもずれているとしか思えないんですが(笑)、そこにばかり目が行くんですね。つまりずれているんだけど、何か面白くて、かっこいい。》(Musicman)
その後、高校時代に2か月半入院した病室でビートルズの「サージェント・ペパーズ」やバニラ・ファッジなどを聴き込む。12:「Just Like A Woman 」ボブ・ディランは、“同世代の小説”として愛読していた村上龍の『69』にも登場する曲。
14〜24:幼少期〜思春期のアイドル
14:こんにちは赤ちゃん/梓みちよ
15:新宿の女/藤圭子
16:お富さん/春日八郎
17:ホープさん/並木路子・三木鶏郎
18:僕は特急の機関士で/榎本健一・椿トシエ
19:真夏の出来事/平山みき
20:ビューティフル・ヨコハマ/平山みき
21:としごろ -人にめざめる14才-/山口百恵
22:ひと夏の経験/山口百恵
23:悪女/中島みゆき
24:わかれうた/中島みゆき
14:「こんにちは赤ちゃん」梓みちよが人生で初めて買ったレコード。16:「お富さん」春日八郎は2〜3歳の頃、父親の車のラジオから流れていた歌。大学の学祭には平山三紀(みき)を招聘し、卒論は「山口百恵論」だった。
《音楽との最初の関わりは、2〜3歳の頃に父親の車のラジオから流れていた春日八郎の『お富さん』。車の振動に合わせて歌ってはゴキゲンになっていた幼児 だった。後に、『お富さん』は、沖縄音階と沖縄リズム、スカやレゲエと繋がって いることが分かり腑に落ちた、と本人は語っている。》(年譜)
この時期に三木鶏郎や中村八大ほかの作家の研究も行うようになり、それらは後年、トリビュートイベント(三木鶏郎と異才たち)や著書『上を向いて歩こう』など、様々な形で回収されていく。
中島みゆきは1989年『夜会 Vol.1』のパンフレット編集に参加するなど、剛さんが晩年まで憧れを抱き続けた“アイドル”のひとりだった。
25〜32:ミュージック・ラボ〜ファイブ・ディー時代
25:夢中人/フェイ・ウォン
26:我的1997/加藤登紀子
27:Why?/Frankie Avalon
28:スローバラード/RCサクセション
29:イムジン河/ザ・フォーク・クルセダーズ
30:First Love/宇多田ヒカル
31:ハナミズキ/一青窈
32:いちょう並木のセレナーデ(reprise)/小沢健二
個人的には社内で耳にすることの多かった曲。ファイブ・ディー時代の剛さんは、とりわけ映画を端緒として、アジア〜中国・香港・台湾への高い関心を持っていた。ウォン・カーウァイ監督「恋する惑星」に出演し鮮烈な印象を残した、25:「夢中人」フェイ・ウォン(同作品の挿入歌)もよく大音量で流れていた。27:「Why」Frankie Avalonは、エドワード・ヤン監督「牯嶺街少年殺人事件」の主題歌。
《(台湾のレコード・レーベルとの打ち合わせで)中国語圏の音楽や文化に興味を持ったのは映画によってであり、とりわけメインランド(中国)と台湾の作品が好きであると話した。世界で最も好きな作品は『牯嶺街少年殺人事件』であり、つい2ヶ月前にも、やはり宮沢和史と二人で観たばかりで、前日の夜にはサントラ盤テープも購入したのだと言うと、台湾の人は半ばあきれた顔をした。》(シネマ・ラプソディ)
中国の田舎町・瀋陽出身の少女が想う香港への素朴な憧れを歌った「我的1997」で知られるシンガーソングライターの艾敬(アイ・ジン)。剛さんは国内制作による2枚のアルバムのプロデュースのほか、THE BOOM「島唄」のカヴァーにも関わった。艾敬は、剛さんにとっての“アイドル”だと言って差し支えなかったと思う。Spotifyに彼女の楽曲がなかったため、加藤登紀子による日本語ヴァージョンを選曲した。
1999年、宇多田ヒカル(剛さんが昔好きだった藤圭子の長女)が「Automatic」でデビュー。同時期に椎名林檎が「ここでキスして。」をリリース(二人とも東芝EMI)。椎名林檎や宇多田ヒカルを事あるごとに強くプッシュする、剛さんの興奮した様子を今も思い出す。2000年代以降は一青窈も高く評価していた様子だった。
32:「いちょう並木のセレナーデ(reprise)」小沢健二は、剛さんとファイブ・ディーの社員で小沢健二の武道館公演(VILLAGE)を観に行った思い出から。その日のライブで、小沢健二が観客にしきりに手拍子/ハンドクラップを求めていた。その行為やBPMがヒップホップと日本の歌謡曲をつなぐものになっている、などと語っていた。ぼくもそのライブをきっかけに、初めてソロ以降の小沢健二をきちんと理解できた。(→今夜(だけ)は(追憶の)ブギー・バック(・マンションと上京当時のこと、小沢健二の話)|P-Graph)
33〜46:プロデュース・執筆作品から
33:シ・ア・ワ・セ/小野リサ
34:サヨナラCOLOR/小泉今日子
35:秋まつり、お月さま/坂本冬美
36:上海的旋律/野宮真貴
37:パフ/Pink Martini&由紀さおり
38:お母さんの写真/岡本知高
39:ヨイトマケの唄/美輪明宏
40:黄昏のビギン/水原弘
41:爪/ペギー葉山
42:ウェルカム・ビートルズ/ジャッキー吉川とブルー・コメッツ
43:ざんげの値打ちもない/北原ミレイ
44:おかあさんへ/小林幸子
45:一本の鉛筆/美空ひばり
46:人生一路/美空ひばり
このプレイリストではBGMとしての使用を想定し、代表的なプロデュース作品は除外した(例えばTHE BOOMの「島唄」など)。代わりにプロデュース作品・著書にちなんだ、「アイドル」や女性への思慕を感じさせる曲を選んだ。大まかに仕事の時系列に並べている。41:爪/ペギー葉山など、演出を手がけた「マイ・ラスト・ソング」関連の楽曲もある。最後の美空ひばりは、トリビュートイベント「HIBARI 7 DAYS」で歌われた曲。
36:上海的旋律/野宮真貴はピチカート・ファイヴ解散後初のソロアルバム(『Lady Miss Warp』)収録曲で、プロデューサーとしてはクレジットされていないが(プロデュースと作曲は高野寛)、剛さんが当時親しくしていた事務所の縁で制作協力に関わっていた。ぼくがピチカート・ファイヴ好きなのを知っていて、アルバムの方向性について相談を受けたことがあった。
44:おかあさんへ/小林幸子は、小林幸子がニコ動で「ラスボス」と呼ばれ、若年層を中心に再び人気を盛り返しつつあった時期のプロデュース作品。この曲にしても『お母さんの写真』(オリジナルは上條恒彦)にしても(偶然とはいえ)、剛さんの女性アイドルへの想いは、母への思慕の情とどこかでつながっていたように思える。
47〜59:日本のロック、フォークのアイドル
47:実録 -新宿にて- 丸ノ内サディスティック~歌舞伎町の女王/椎名林檎
48:かりそめのスウィング/甲斐バンド
49:帰ろうかな/THE BOOM
50:ひとりじゃないから/純烈
51:好きだ。/Little Glee Monster
52:ファイト!/Little Glee Monster
53:トランジスタ・ラジオ/RCサクセション
54:橋の下/ローザ・ルクセンブルグ
55:ふうらい坊/小坂 忠
56:プカプカ/ザ・ディランII
57:時の過ぎゆくままに/沢田研二
58:ブルースカイブルー/河村隆一
59:月下美人/西城秀樹
深く関わった甲斐バンド、THE BOOMからも加えたいと思い、このプレイリストの主旨に合う曲として、歌謡曲に比較的近い雰囲気の、48:かりそめのスウィング/甲斐バンド、49:帰ろうかな/THE BOOMを選んだ。
Little Glee Monsterは、南青山に事務所を借りていた頃、剛さんにMVを勧められて知った。剛さんはリトグリの担当プロデューサーの勧めによりライブを観て彼女たちの歌に惚れ込み、ノンクレジットながら「好きだ。」の歌詞の監修など、隠れたアドバイスをしているとの話だった。
《満員の観客が求めるアンコールの声を聞きながら、「特別な“何か”に出会ったかもしれない…」という気持ちになりました。家に帰る道すがらに思い出したのは、音楽ジャーナリストだったジョン・ランダウが初めてブルース・スプリングスティーンのライブを見た後で、その感動を記した言葉でした。「ぼくはロックンロールの未来を見た。その名はブルース・スプリングスティーン」。何度かその言葉をつぶやいているうちに、ぼくはリトグリの未来にロックンロールが見えたように思えてきたのです。》(「夏になって歌え」ライナーノーツ)
「好きだ。」は妻と当時6歳だった娘の心にも強くヒットし、娘の人生初の接触イベントがリトグリになったほか、リトグリが出演した剛さんプロデュースのイベントを何度か家族で見せてもらったりした。中島みゆきをカヴァーした、52:ファイト!/Little Glee Monsterは、まさに剛さんの彼女たちへの想いが結実したような歌唱だと思う。
後半は、忌野清志郎、どんとなど、剛さんが接してきた男性ロックバンド/シンガーの曲から選んだ。57:時の過ぎゆくままに/沢田研二は、小泉今日子・浜田真理子による、久世光彦「マイ・ラスト・ソング」(剛さんが企画プロデュースを担当)の一曲にも選ばれている。亡くなる数日前のベッドの枕元には、沢田研二の評伝『ジュリーがいた』が置いてあったと、あとで聞いた。
サブスクの限界により、晩年の剛さんがとりわけ愛情を注いだであろう西城秀樹の楽曲が乏しく、クライマックスの名曲「ブルースカイブルー」がカヴァーになってしまった(しかし、河村隆一の歌唱には原曲への愛が感じられる)。59:月下美人/西城秀樹は、∀ガンダム挿入歌のロック・バラード。
ぼくと剛さんとの関わりは、青山の事務所が解散した2018〜19年に一旦途絶えてしまい、晩年の西城秀樹や純烈などへの想いも肉声を通して聞くことは結局叶わなかった。周りの人を引きずり込む、あの熱のこもった語りをまだまだ聞きたかった。
60〜62:ENDING
60:黄昏のビギン/中村八大
61:夢であいましょう/井上陽水
62:上を向いて歩こう/坂本九
プレイリストを作り始めたのは、12月3日(日)のわずか3日前。10月の個展で出品した新作「わからん ’23」(今年亡くなったぼくにとってのスターへの追悼の意を込めていた)を展示することに決めた時、この日を剛さんの裏追悼企画にする案がふわっと浮かんできた。
Instagramにも以前書いたけど、仙川POSTOから自転車で5分ほどの場所に剛さんが入院していた病院があり、POSTOとの最初の打ち合わせの日が、病院へのお見舞いの日だった。残念ながら、その時は既に言葉を交わせる状態ではなくなっていた。仙川という場所で毎回人と会う展示を行うにあたって、やはり剛さんの影響は大きかった。
プレイリストを作って店内で流したのは今回が初めてだったけど、とても好評だった。涙腺が比較的堅い自分でも、聴いていて何度か涙腺が緩む瞬間がある。
展示の日に会場にいた、剛さんとは同世代、という作家の方が、選曲の全てをものすごく気に入ってくれた。その方といろんな話をして、剛さんと言葉を交わした気持ちになれたので、きっとこの日のことも天に届いたのではないかと思う。
