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追悼・佐藤剛さん

“beguine” by Cinnamon

 
2023年6月20日朝、音楽プロデューサー/作家の佐藤剛さんが逝去された。

THE BOOM、中村一義、小野リサ、ヒートウェイヴ、SUPER BUTTER DOG等のプロデュースのほか、後年はノンフィクション作家として昭和のヒット曲の探求など、音楽〜ポップス〜芸能の諸分野において多大なる貢献を果たした人物であり、関わった人々の数も計り知れない。それぞれにとっての「剛さん」像というものがきっとあるに違いない。その功績については、これからたくさんの方々がそれぞれの言葉で明らかにしてくれるだろう。それを楽しみにしつつ、ここでは社員時代からの剛さんとのごく個人的な思い出だけを、ただ振り返ってみたいと思う。
 


 
剛さんとは1994年から、社長を務めた音楽事務所ファイブ・ディーの社員として、直近では2018年前後くらいまで、20年を超える長きに渡り、比較的近い場所でデザイナーとして仕事を共にしてきた。

社員時代だけでなく、フリーランス以降も本当によく仕事をさせていただいた。現在の音楽ジャーナリストとしての仕事につながる転機となったと思われる、2005年のイベント「Sing with TORIRO 三木鶏郎と異才たち」、スタジオジブリとのCD『お母さんの写真』、美空ひばりのトリビュートイベント「HIBARI 7 DAYS」、アイドルから演歌まで幅広く取り上げた徳間ジャパンの広報誌『微風』、ビートルズ来日公演に向けて奔走する人々の姿を描いたノンフィクション『ウェルカム!ビートルズ』、せたがや音楽プロジェクトのフライヤー、新宿文化センターの音楽フェス「-shin-音祭」(第1回)と井出情児さんの新宿写真展の仕事が、とくに思い出に残る。
 

-shin- 音祭[2018]

 
まだ何者にもなれず、ライター/編集者になるという漠然とした夢しか持っていなかった、90年代初頭の素人同然だったぼくを快く会社に迎え入れ、忙しく活気のあった音楽業界で、ゼロからいろんなことに挑戦させてくれた。月刊のファンクラブ会報の編集から執筆・取材までをいきなり丸ごと任され、編集と印刷に関する最低限の知識をそこから学ぶことができた。取材やパンフなどの仕事では、第一線で活躍するミュージシャンや写真家と接しながら、プロフェッショナルの凄さを胸に刻んだ。

実は最初の頃、剛さんがとても怖かった(畏怖心はアーティストやメンバーなど誰に対しても感じていたが)。逆に剛さんのほうも、新人味がいつまでも抜けないぼくに、あまり興味を示していなかったのではないかとも思われた。入社してしばらくは名前を間違えられることもあったし、仕事のことで怒られた回数も多かった。
 



評価が変わったと感じたのは、ぼくが自腹でMacを買って、社内で自主的にデザインを始めた頃だった。デザイナーとして自分の趣味を前面に出すようになり、輸入盤店で買ったシャンタル・ゴヤのレコードをデスクの回りに飾っていたら、剛さんがそれに飛びついてきた。剛さんは、ロジェ・ヴァディム監督の『バーバレラ』とか、カトリーヌ・スパーク、アンナ・カリーナのような、60~70年代にかけてのアイドル映画やヌーヴェル・ヴァーグの世界が大好きだったのだ。
 

 
その辺の映画の知識は、当時好きだったピチカート・ファイヴの影響から学んでいたが、剛さんは当然、小西康陽さんのことも植草甚一を継ぐ映画好きとして認識していた。古本屋で買った加賀まりこの写真集(立木義浩撮影の『私生活』)を持っていった時には、かつて取材で本人から直接もらったというテレフォンカードをいただいたりもした。主演した『月曜日のユカ』や中平康の作品については、とくに熱の込もった話を伺うことができた。
 


書くことや編集の仕事を目指していた頃のぼくは、他人と素で向かい合うことが苦手で、とかく書くことという殻の中に閉じこもりがちだった。しかしデザインを始めてからは、デザインをする自分と、ミュージシャンやクライアントである仕事相手が、対等の存在として見えるようになった。剛さんやアーティスト、周りの人々とも、デザインを間に挟んでフラットに対話ができるようになり、やがて人見知りの癖も自然となくなっていった。

1999年に再び自腹で、今度はイラストの学校に通い始め、予想もしなかった賞を受賞した時は、ご褒美として京都の行きつけのお店に連れて行っていただいたりもした。昔の怪談映画の特集を観ようと誘ってくださったこともあった。「しもP」と呼ばれて、かなり可愛がってもらったなあと今になって記憶を辿り、そのにこやかな笑顔を思い出すと涙が滲んでくる。

冒頭にも述べたように、フリーランスとして独立してからも多くの仕事をご一緒する機会に恵まれた。2014年から4年間、青山のオフィスの2Fを間借りさせてもらっていた時期には、より身近な場所でいろいろな話を伺うことができた。専門分野の昭和のポップスや作詞家の話題ばかりでなく、常に最新の、ぼくたちですら誰も知らないような、ブレイク前の若手ミュージシャンの情報までよくチェックしていた。
 



剛さんといえばやはり、言葉と脳が直結しているかのようなしゃべりの凄さだと思う。相手に向かって話しながら、過去も未来も遠くまで見通し、脳をフルスピードで回転させながら自分の考えをまとめていく。そのしゃべりは常に説得力と高揚感に充ちていた。剛さんの話を聞いた後は、いつも身体にやる気が満たされ、元気をもらったような気持ちになったものだった。きっと剛さんと接して同じような体験をした方が、ほかにもたくさんいらっしゃるのではないだろうか。

闘病中に一度だけ病院で面会した時、既にそのしゃべりを一切聞くことのできない状態になっていたことに、痛切な寂しさを感じてしまった。映画のこと、音楽のこと、もっとたくさんのお話を聞かせてほしかった。その博識や楽しかった思い出をそのまま持って行って、あちらの世界でも話の花をたくさん咲かせてください。そのうちぼくも聞きに行きますので。

本当にありがとうございました。
 


 

  

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