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五街道佐助(改め四代目隅田川馬石)の「淀五郎」

寄席発祥の地と呼ばれる稲荷町・下谷神社で、五街道一門の寄席『五街道 FOREVER II 〜隅田川馬石への旅立ち〜』を落語の先輩たちに付いていって観ることができた。五街道佐助が今月、四代目隅田川馬石(すみだがわばせき)を襲名し、真打に昇進するのにともなうお祝い公演も兼ねていて、中入り後には一門による昇進挨拶も行なわれた。少し先輩の“桃ちゃん”こと桃月庵白酒が司会をつとめる学校寄席(小学校の営業でやる寄席の完全な再現)なども楽しく、小所帯ならではのアットホームな雰囲気に終始笑いが止まらなかった。

佐助のことはもちろん今回初めて知ったのだが、師匠の五街道雲助に入門したのが平成5年(1994年)だと聞いて、妙に親近感が沸いてきた。ふと振り返れば、かつて故郷の静岡から上京して前の会社にライター志望で入社したのが、ちょうど佐助が入門したのと同じ1994年だった。佐助が二つ目に昇進したのが平成8年(1997年)。これは当初目指していた編集・ライターへの道から方向転換してデザインを始めた年にあたる。それから10年後の真打昇進。デザインを始めてからもう10年になることに、このような思いがけない場で気付かされ、ちょっと吃驚した。デザイナーにも昇進制度があったら面白いのに、なんて思ったりもした。落語家の昇進制度は、若さ、師匠からの心技の継承、昇進後の円熟など、落語家の多くが備える独特の佇まいや気品の形成に寄与しているように思える。

昇進挨拶で佐助は、師匠の雲助に弟子入りしたばかりの頃に師匠の「淀五郎」を聞き、いつか自分もその噺をやってみたいと思っていた、と語った。その「淀五郎」を佐助はこの日の演目に自ら選んだ。初めて聞く「淀五郎」(←サイト「落語の舞台を歩く」より)は、芸事の精進をテーマとした、佐助の13年の道筋にも重なる噺で、その迫真の語り/演技とも相まって深く心にしみるものがあった。

「淀五郎」は、「忠臣蔵」の大役にいきなり大抜擢された新人役者の淀五郎が、自分を推してくれた先輩役者から、舞台上での“ダメ出し”と辛辣な言葉を食らって悩む、という噺。先輩役者を斬って、役柄よろしく自らも腹を切って死のうと覚悟を決めた上で訪ねた、古くから世話になるベテラン役者に淀五郎はこんな意味のことを言われる。「お客にいいところを見せようという気持ちがあるから、演技が大袈裟になる。本当にその役になりきって腹を切るのと、お客にほめられたいと思って切るのでは大違いだ」……ここを聞いて背筋がヒヤッとした。芸の探求ということに関しては、落語家もデザイナーも(たぶん他の仕事も)同じようなところがあるのかもしれない。先日、とあるクライアントから「仕事は自己表現の場ではない」と非常に奥深いことを言われ、うーむと考えさせられたときのことも頭をよぎった。

 
仕事が思うようにいかないとき、自己を取りまく殻に亀裂が入り、そこから示唆に満ちた外部の声が聞こえてくることがある。そこでその声に耳を傾けるか否か、が、芸の道を行く者にとっては特に重要だと思う。まだ経験が浅いうちはその声を疎ましく感じることもあるかもしれない。が、逆にそういう時期こそ、殻を壊す機会にたくさん出会えるのもまた事実なのだ。……まだ初心者の分際ではあるけれど、数少ない落語経験の中から引っかかってくるのは不思議とこんな教訓ばかり。もちろんあとの90%は笑い転げている。

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