Twitterやブログなどで、訃報に接して亡くなった人の思い出を記すことがある。良い文章が書けた時はその人がいつまでもそばにいてくれるような気持ちになれる。たとえば、ミュージシャンの朝本浩文さんの思い出を綴ったテキストは、読み返すと今でも朝本さんがそこにいるように感じられる。
それまで死というものに縁遠い人生を送ってきた自分が、2016年の終わりに相次いで身近で大切な存在を失った。ひとりは私の母。もうひとりはミュージシャンの黒沢健一さんだった。
黒沢さんに関しては亡くなる直前に『Focus』と『V.S.G.P』、自分が関わった2つのアルバムの制作エピソードを公開してから、まだ新しいテキストを形にできていない。今、さらっと「亡くなる直前に」と書いたが、この事実を認めることすら長いこと困難な状態だった。心の中では、黒沢さんは最近日本では見かけないが、世界のどこか知らない場所をツアー中、という設定にしていた。
でも、そうやって事実にフタをしてしまうことで、新しい黒沢さん(不思議な言い方だけど)と出会うチャンスを自ら失ってしまっているのではないか、と最近考えるようになった。あの時以来人生はずっと曇り空で、心の底から手放しで幸せだと思える日がほとんどない。でも、曇り空を晴れに変えることはできないとしても、曇り空でも全然平気、と思えるようにはいつかなれるかもしれない。
黒沢さんとの楽しかった思い出を文章の形で残したい(もちろん心の中で思うだけでも十分だ)。その前に、あの頃、母と黒沢さんを同時期に看取った日々のことをどうしても言葉にしておかなくては、と思った。
……で、文章にまとめてみた。なんとか形にした。母の入院のこと。突然の訃報の直後、黒沢さんとのお別れの時に話しかけた内容。母の死に目に会えた日のこと。アルバム制作時のマネージャーがかけてくれた言葉。……他人に見せられるレベルの内容ではない。でも、書き終えて5年間の重い胸のつかえが取れてようやく少し楽になった気がした。
死とは、やり過ごしたりフタをして忘れてしまうものではなく、残された人々の心の中でこれからもずっと一緒に生きていくものだと思う。今日も、黒沢さんと最後に言葉を交わした時に(タワレコ新宿のインストアイベントに並んで)サインしてもらったアルバム『BEST VALUE』を聴きながら近所を散歩した。BTSの活躍やコロナの話題、最近の小山田くんのこと etc.……これからでも話したいこと、伝えたいことが山のようにある。
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⎯⎯グリーフケアとは|日本グリーフケア協会
今回いくつか調べた中で、この説明を読んだ時、自分がずっと抱えてきた悩みに光が差したような気がした。医学的見地からこの問題にアプローチしている団体。